それは在る
人生とは私とは何かと知ることである。その知る作業が人生である。それ以外に無い→本当の自分ではないモノを放棄する作業の連続が人生
浄化は罪や穢れを綺麗にすることではない→例外なくあらゆる存在に罪や穢れは存在しない→全ての存在は純真無垢→浄化は本来の自分ではないモノを手放すこと→未完であるこの世界の何かと、誤った自己同一化していることが苦しみの根本の原因
人生とは何か問うてその答えを見つけるのではなく、どう生きるのかに忙しくなる
真我と自我→あなたが常に考えている自己(私)や私はという時の(私)は思考や想念で成り立つ自我→真我は思考せず、私とは言わない。真我はただ在り、完全そのもの→真なる目覚めの時、(私)は消滅しはじめから存在しなかったことが認識される。本当のあなたは生まれてもいなければ死ぬこともない。そのことを自己認識するのが悟りなのである
私という思考・想念と距離を作り出しなさい。それは事実のあなたではないから
内観することで、分離させ距離を作り出す。内観すれば、思考を観ることができれば、自分が思考でないことを知れば自ら知ることになる
自分は現在幸せでなく、何かを得ることによって幸せになれる。と思っている人は幸せにならない→なぜなら、自分を幸せになれないと決めているから→自分は幸せでないと考えている人間は幸せになれない
赦しとは我慢でも自己犠牲でもない。真の赦しは自分は自由そのもの、完全そのものであると歓喜すること。いかなる観念や概念も存在しない
気づき→目に見える全てに注意を払い、同時に内面にも注意を払う→できるようになるまで何ヶ月、何年もかかるから慌てる必要はない
つい先日まで楽しいことだったのに、急になぜか楽しいと思えなくなった→こういった違和感は、あなたがひとつ上のステージに行ったことを意味する
善悪は存在しない。問題はあなたがその事象に対してどのような見方をするのか、ということだけなのだ
自分の観念に気づきそれを解放しなさい。一歳全てを手放し、常識も良心も全て疑いなさい
欲望は悪いことではない。人を助けたいと言う気持ちも欲望だ
何かの価値を判断し分別、決定することは、あなたに限界を作り出す。あなた自身が自由を奪っている。浮かんできた考えが事実でないと理解できれば世界に限界がなくなり自由が広がる。ゆえにあなたは自由を手にすることができる
理性がなんでちゃんとできないんだ、と言っても気にする必要はない。それはあなたが言ってることではないから
人は教えを学びたいと思っていない。答えが欲しいだけ。その求める者には学ぼうとする気持ちがない。教えを聞いて学んでいる気持ちになっているだけ
やってくる思考が自分のものではないと、完全に気づきなさい。その方法は、思考が起きるその瞬間を目撃すること。その時、私の全てが一気に崩壊する。何も信じられなくなり、存在そのものにしかよりかかれなくなる。これは目覚めでも悟りでもない
思考がやってきたら、まずは見守る。そして、聖心に自分のやりたいことは何だろうと問う。同時にその行為は自分がやっているのではないということに気づきなさい
神の名前 OM キリスト教ではアーメン、仏教ではオンと使うが、全て同じで音が異なるだけ
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