限りある時間の使い方
80歳まで生きるとして人生は4000週間。90歳まで生きても4700週間
誰かが自分の仕事をあなたにやってもらおうと思っている→他人の期待を無限に受け入れる容器になってしまう→その犠牲に見合うだけの価値はあるのだろうか?
☆可能性を狭めると自由になれる→選択肢は少ない方が良い
本当にやりたいことであるなら問題ない→何となく楽な方に流されているだけなら×→集中力をアップさせるしかない→瞑想。気が散るものを制限禁止
☆なぜ自分が本当にやりたいと思うことに集中できないのか→なぜやりたいことをやりたくないのか→自分の限界に出会いたくない。才能がないかもしれない→理想を捨てて取り組んでみるしかない
☆時間と闘っても勝ち目はない→例えば3日あると思っても予定が入って実際は3日もなくなる可能性もある→何が起きても動じないこと
時間をコントロールしようという態度は、時間をうまく使おうという強迫観念になる→時間をうまく使おうとすればするほど今日や明日が理想の未来まで通過点になってしまう。しかし、理想的な未来なんてやってこない
☆子供の将来を大切にするのも、子供にとって今それが楽しいかどうかも同じくらい大事な問題
☆余暇を無駄にしない唯一の方法→一見遊びに満ちた体験さえも、より豊かな経験をした自分になるための手段
☆余暇を有意義に過ごそうとすると、余暇が義務みたいになってくる→何もせずのんびりすることが余暇の目的だったのに
☆選択肢が多すぎるせいで、やるべきことをやっていない気分になる→お金持ちになるほどその傾向が強まる
☆余暇こそが人生の中心であり、仕事はそこに入ってくる邪魔者→余暇を楽しむのが人間本来の姿であり、仕事は例外
☆工業化が進み時給労働が普及し始めると、こうした習慣は一掃された
☆現代に生きる人々は、休みを有意義に使うか無駄にするという奇妙な考え方に染まってしまっている
☆休息が許されるのは仕事をする元気を取り戻すためになってしまっている
☆なぜ現代人は本が読めないのか→現代人がどんどん短期になっているのは技術が進歩するたびに、人間の限界を超える地点に近づいている気がするからだ。新技術のスピードで時間がコントロールできるようになると思い、その期待が裏切られて、結果的に不快感が増す
ほどほどに意味のある人生
時間は私を構成する実態である
時間は本来的に不確実なのだから、そこに安心や確実さを求めようと足掻くなら、人生はすべて本番前の準備段階になってしまう
辛い現実を受け入れて何の得があるのか→ここにいることができる
ありのままの自分ではなく、あるべき自分に縛られていないか
この絶望的な時代にどうやって希望を持ち続けるのか→希望を持っているわけではなく、やるべきことをやっている
☆何もしない練習をする→自分の4000週間を有意義に過ごすためには、何もしない能力がかかせない→何もしないことに耐えられない場合、将来に役立つことをしなくてはと思い込んで、楽しみや満足をいつまでも先送りにしてしまう
オリバー・バークマン
1700円