渋谷で働く社長の告白

祖父は事業を行い失敗→父はそれを見て安定した企業勤め→それを見て普通のサラリーマンは嫌だ。地方から東京への憧れもあった

小学生の頃から目立ちたがり屋。将棋大会で優勝する地頭→中学でバンドを作り生徒会長も務め、文化祭ではスターに→高校になって勉強をしなくなるがバンドを続ける→音楽で成功は才能がないのでできない→進路をバンド友達と話した際、そのバンド友達のためにレコード会社を作ってやると話して、ここから事業を考え始めた

大学へ行って麻雀漬け→バイト先の先輩に活を入れられて本格的に考え始める→次のバイト先がリクルート出身者たちの広告営業会社で飛び込み訪問営業をやらせられた。名刺も偽り、年齢もバイトだと思われないようにサバを読んだ。名刺がなくなると資金がないので他の人の名刺を持って営業をやらされた→それでも学業よりも仕事の方がハマった

バイト先の社長が持っていたビジョナリーカンパニーを読んで社長になる決心がついた

大学卒業後、バイト先のライバル会社に就職→2年経験を積み24歳の時にバイト先の会社の役員退職に乗ってバイト先に就職した同期のエースと専務の3人で会社立ち上げ→と思いきや、当時勤めていた社長に良い条件で事業立ち上げの話を受ける→その話を飲み、ともに起業しようとしていた二人とはそこで別れることに

会社の立ち上げは決まったが事業内容は何も決まっていなかった→とりあえず流行の兆しを見せていたインターネット事業をやることに→インターネットのことはまるで分らなかったけど、営業に強い人間はコンピューターが苦手で業界に少ないから目を付けた

創業当初、優秀な営業マン達が揃っていたが自転車操業だった→自社でサービスや製品を持たないと意味はない

ネットバブルの始まりの当初、会社も私もちょうどその入り口にいた

会社立ち上げ一年で事務所引っ越し→家賃40万から200万に→それでも資金はギリギリだった

創業間もなく従業員が10人未満だと人が増えにくい→サイバーエージェントはどんどん人が増えた→採用に大切なのはビジネスモデルではなく、従業員や採用の指揮の高さ→採用力とは競争力である

上場後すぐにバブル崩壊

藤田社長が31歳の時の本

35歳が経営者の旬

※ワンスアポンアタイムインアメリカ

※ニューシネマパラダイス

藤田 普

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