名前のない仕事
ゼネラリスト→何でも屋
uuum社長は、社会人スタート時光通信で総務を極めた
世の中、専門家の方が評価されやすく、何でも屋は軽く見られる
uuumスタート時、原宿で家賃15万の六畳一間で、金と仕事はないけどやる気だけある状態だった
辛い体験をした人は、強い。どうしたって、強くなってしまう
光通信は5人で一万規模を回していた。少数精鋭
2003年入社、最初の給与18万、社宅など差引3万の手取り
光通信の一年は他の会社の10年分
23歳で月50万の給与になった
その後移動して、2011年にヒカキンと出会う
スマホショップ出店をし続けて学んだことは数打てば当たる
会社退職後、前職上司のつながりでヒカキンと2度目の再会。そこで再度会うお願いをした。そして、ユーチューバーと仕事をしようと決める
登録者の多い順にユーチューバーに声かけ。3時間動画を見てから会う。また、会う前からその人のことを好きになっておく
何人か存続契約が取れて、グッズ商品を作ったが売れなかった
今度は紹介動画の営業を行うように。徐々に効果が現れ始め、ユーチューバーに言われてマネジメントを行うようになった
社名決めの際にヒカキンの提案→中世的な名前が良い、4文字くらいが覚えやすい、ドメインに使える〇〇.com
一瞬決まりかけた名前は、いいね株式会社
社名を変えるタイミングで原宿15万を出て、原宿ヒルズ22坪30万に移動した
クリエイターはコミュ障が多い。たとえるなら、明るい引きこもり
芸能事務所など経験者は1人もいなかった。2回目はカンペキになるのもと何でもやった。マネジメントだからと言って、上から目線もしなかった。とにかく一緒にやろうで進めた
クリエイターをスカウトするときは、ただおしゃべりがしたくて話に言っていた
ゼネラリストはクリエイターというスペシャリストのそばで人生の面倒を見る覚悟でサポートした
嫌われてもいいから、その人のために厳しいことを言えるか
2014年六本木ヒルズに移転。最初は事務所を入れたくないと入居を断られた。そのため、ウチはメディアですとプレゼンを行った。家賃は400万。100坪。従業員20人。募集をかけると1000通以上来て、ヒルズの凄さを知った
しかし、1年後に現金がショートしかけて銀行から2億の融資を行った
2017年に上場、しかし2019年にクリエイターが脱退し始める
唯一読んだ本はビジョナリーカンパニー
2020年3月に東京ミッドタウン移転1500坪
仕込んだものは何年後かに効いてくる→絶えず仕込み続けないといけない
有名人が参入したらの回答→有名なだけではダメ。専門家だから見られる
サボりやすい自分を追い込む環境を作る
鎌田和樹